叫び、思い。

22歳、社会人1年目(県庁職員)の僕の思いを自由に叫びます。叫ぶ内容は僕の趣味(ファッション、サッカー)や仕事のこと、考えや本音など様々です。たまにイタい内容もあるかもしれません。

LGBT差別反対を唱える人はとりあえず東野圭吾の「手紙」を読むべき

最近、あるテレビ番組でLGBTの人が自分達に対する差別や偏見に反対する声を上げていた。LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの4つの単語の頭文字をとった言葉であり、性的マイノリティーの人々を指す。渋谷区の同性婚を認める条例が少し前にできたこともあって、この言葉は最近になってから認知度が上がった気がする。

彼らは自分たちが職場でもプライベートでも不当な差別や偏見によって、辛い思いをしてきたと言う。彼らは別に好きでそうなったわけではないから、マイノリティーである彼らに対して差別的な言動はあってはならない、僕はずっとそう思っていた。でもそれは極めて偽善的な思いに他ならないということを、東野圭吾の名作「手紙」を読んで思い知らされた。

 

東野圭吾「手紙」とは

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これは、主人公の直貴の兄である剛志が強盗殺人の罪で捕まったことから、強盗殺人犯の弟となった直貴が進学・恋愛・就職等の過程において不当な扱いを受け続ける様が描かれている。

会社で不当な配置換えを受けたことで、なぜ自分は悪いことは何もしていないのにここまで差別を受けるのかと悩み続ける直貴に、直貴の就職した会社の社長が言った一言が印象的だった。人事部の処置は当然だと言った上で、

「差別はね、当然なんだよ。」

「大抵の人間は、犯罪から遠いところに身をおいておきたいものだ。犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わり合いにはなりたくないものだ。ちょっとした関係から、おかしなことに巻き込まれないともかぎらないからね。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。自己防衛本能とでもいえばいいかな。」

と言った。つまり、強盗殺人犯の兄が同じ職場にいることで、差別ないし逆差別といった事態が起こるという影響がある以上、他の従業員が仕事以外のことで神経を使わざるを得なくなるため、業務効率が下がり、結果として会社に対してもマイナスだという。

 

LGBTは犯罪者ではないけれど…

LGBTの人は犯罪を犯していないし、身内に犯罪者がいるというわけでもないから、「手紙」の直貴の場合と全く同じということは出来ない。でも、自分の責任ではない事情があるために、不当な差別を受けているということは同じだ。

僕は今までの自分の考えの視野の狭さを痛感した。以前の僕も、ただ差別反対を唱える人もそうだけど、差別される側の立場しか考えていない、言うなれば身勝手な見方だ。僕はレイシストという訳ではないけど、自分の周りや所属する組織に黒人やLGBTの人がいたらどうだろうか、身構えてしまわないだろうか。

なぜそこに差別が存在するのか、差別することで得られるメリットはないのかという視点が全く抜け落ちている。ベンサム功利主義「最大多数の最大幸福」を達成するということにおいても、マイノリティーに対して差別をするということは、組織に利益をもたらす面もあるから、ある意味では合理的な手段だと言える。

このような視点でテレビなどを見ていると、差別反対を唱えるLGBTの人たちは、まだまだLGBTの人達が完全に受け入れられているとは言えない現代社会において、自分が職場に入ったら周りの人はどう思うか、影響はないか、自分のような人が組織にいるのといないのとではどちらがベターか、ということに考えが至っていないように思える。

だから、徒らに差別反対を唱えるだけではあまり意味がないと思う。周りに多少なりとも影響すると思った時点で、その人を解雇ないし配置転換するというのは、組織の効率を高めるという目的を達成する上で、経営者としては間違った判断とは言えない。

やっぱり、重要なのは、今ある差別を受け止めた上で、そこからしっかりと時間をかけてLGBTの人たちが社会にいるのが当然という状態にしていくことだと思う。黒人だって、奴隷の時代を経て、400年という本当に長い時間をかけて戦った結果、市民権を得た。黒人に対しては、実質的な意味でまだ差別が残っている面もあるけど、LGBTの人達も、ただ差別・偏見反対と唱えるのではなく、自分とは異なる立場にある人の考え方も考慮して、長い時間をかけて受け入れてもらえる努力を続けることが大事だと僕は考える。「手紙」の場合とは違って、時間をかければ解決できる問題なのだから。